読書系ゲーマーSeiyaの日常

このブログの主は好きなものが三つあります。読書とゲーム(どちらかと言うとアナログ)とプログラミングです。

「桐島部活やめるってよ」のポイント

「桐島部活やめるってよ」という映画を観た。原作は朝井リョウの小説だ。

 

バレー部をやめようとしている桐島という男を取り巻く人達の様子を描いた作品。

 

 今回はこの映画の特徴を四つ挙げてみようと思う。

 

 

 

 

スクールカースト

この作品のテーマは「スクールカースト」だ。

 

どんな学校にもスクールカーストというのはあるものだ。

それは主に部活によって大きく分けられると言っても過言ではないかもしれない。

基本的には運動部が文化部より序列が高く、リア充が非リア充より序列が高いとされている。

更に部活の中でもカーストというのは存在するので、学校というのは様々なカーストが絡み合っている。

 

この映画では神木隆之介率いる「映画部」が、カースト下層であるとされていた。

神木くんのいかにもコミュニケーション不得手な演技が、普段の神木くんとは違うけれどリアリティーがあり、不自然だけれど自然という不思議な感じがした。適役だったと思う。

 

松岡茉優カースト最上位(のように見えた)の役も、普段の彼女とのギャップがあって新鮮だった。

 

複数の視点から同一の場面が描かれる

最初にその日の曜日が画面に現れるのだが、何回か連続で「金曜日」と出てくるので、最初「一週間経ったのか?」と思ったが、実は同じ日の出来事だった。

 

原作の小説を読んでいないので分からないが、恐らくこのような構成になっているのだろう。

 

リアリティーのある高校の日常

とにかくありふれた高校の日常をとてもリアルに描いているという印象がとても強い。

 

上で述べた「スクールカースト」の存在もそれを象徴するポイントだが、登場人物の会話一つ取っても、一見すると蛇足にも思えるような一つ一つのセリフが、リアリティーを強めており、高校時代を思い出した。

 

最後まで現れない「桐島」

極めつけはこれである。

タイトルに出てくる「桐島」は、とうとう最後まで現れなかった。

 

まぁ正直、終盤辺りから薄々予想はしたが、それでも一度はこの学校の多くの生徒に影響を与えている「桐島」を見てみたいとは思ったので、ある意味では裏切られた。

 

最後まで重要人物の「心理描写」が現れないという意味では、東野圭吾の「白夜行」を彷彿させるものがあったが、この「桐島部活やめるってよ」に関しては心理描写はおろか人物の映像すらも存在しない。

タイトルに登場する人物が登場しない映画というのは初めて観たかもしれない。

 

 

と言うわけで、今回は「桐島部活やめるってよ」のレビューを行った。

 

まさか二本目の記事でいきなり映画のレビューをするとは思わなかったが、TSUTAYAで借りてきていたのが溜まっていたのだから仕方ない。

 

ではまた('◇')ゞ